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村正展

2016年10月10日
桑名市博物館 特別企画展 「村正―伊勢桑名の名工―」

ウォーキングのついでに立ちよってみたらえらく盛況だった。
あの「村正」が、これでもかというほど展示されているのだ。
どれも妖しい光を放ちながらケースの中で、
物言わず、されど鋭い威圧感を発しながら、
おのおのの存在感を放ってあるさまは圧巻!

しかし、ド素人の私たちは、どれも見極めがつきませんで。
痛そう・・・・・怖そう・・・・・・すごいね・・・・・・
と単純な感想を言いつつ見てまわったのでした。


========ウィキペディアより=====

村正(むらまさ)は、伊勢国桑名(現在の三重県桑名市)で活躍した刀工の名。または、その作になる日本刀の名。同銘で数代あるとみられる。別称は「千子村正」(せんじむらまさ、せんごむらまさ)。

村正は、濃州赤坂左兵衛兼村の子で、赤坂千手院鍛冶の出と伝えられている。しかしながら活動拠点は伊勢であり、定かではない。他国の刀工と同様に、室町末期に流行した美濃伝を取り入れ本国美濃の刀工の作と見える刃を焼いた作もあり、技術的な交流(坂倉関の正吉・正利・正善など・「正」の字が村正に酷似する)をうかがわせる。しかし美濃だけではなく、隣国の大和伝と美濃伝、相州伝を組み合わせた、実用本位の数打ちの「脇物」刀工集団と見られている。その行動範囲は伊勢から東海道に及ぶ。

「村正」の銘は、桑名の地で代々受け継がれ、江戸時代初期まで続いた。同銘で少なくとも3代まで存在するというのが定説である。村正以外にも、藤村、村重等、「村」を名乗る刀工、正真、正重等、「正」を名乗る刀工が千子村正派に存在する。江戸時代においては「千子正重」がその「門跡」を幕末まで残している。

なお、4代目以降、「千子」と改称したと言われているが、これは徳川家が忌避する「村正」の帯刀を大名や旗本が避けるようになったことが原因と考えられている。
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