名フィル 第392回定期演奏会
「音楽で紡ぐ世界の物語」シリーズ《ある東欧の物語》
スメタナ: 交響詩『ブラニーク』(連作交響詩『わが祖国』より第6曲)
モーツァルト: 交響曲第38番ニ長調 K.504『プラハ』
マルティヌー: リディツェ追悼
フサ: プラハ1968年のための音楽 [管弦楽版]
アンコール
バッハ[レーガー編]: おお人よ、汝の大いなる罪を嘆け BWV.622
[指揮]下野竜也
名古屋フィルハーモニー交響楽団
6月15日(金)愛知県芸術劇場 コンサートホール

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今期の名フィル定演は難しい、というか、知らない曲がずらーり、
まさに「THE定期」で、聴きたい人はおいで!という声が聞こえるよう。
一方で少し敷居が高いと感じるかもしれない。
知らなくてもいい、音楽的なことがわからなくてもいい、楽しく聴けば
それでいいのよ、と思って行く。
6月のテーマはチェコ。
チェコは歴史ある国だが、15~20世紀を混乱と戦火の中で過ぎてきた。
その余波と困難をザンブリ受けた芸術家・音楽家たちの作品もまた
その歴史と無関係では存在しない。
今回は、その凄まじさを、21世紀の、名古屋・栄の都会の真ん中の
美しいホールの中で追体験するものとなった。
まず結論としては、
素晴らしい演奏会に接すると、ああ、生きててよかった、と思う。
感動的な作品に出会うと、人として生まれてきてよかった、と思う。
オマエの命はそんなもんですか、と言われるかもしれないけど。
1曲目、
スメタナ「ブラニーク」は『わが祖国』の6曲目、
宗教戦争時代に、フス派の戦士たちが拠点とした山の名前だそうだ。
いきなり金管で印象的なテーマが出されるのだが、少し音のバランスが
よくない感じで始まった。演奏側も、聴く側も、ややウォーミングアップ
不足というところか。
激しく勇壮な中に、神の加護を讃える荘厳さを感じさせつつ、13分で終る
小曲ながら、侮れない、激烈な一曲。
2曲目、
モーツァルト『プラハ』この曲の間は、目を閉じてリズムを取りながらマイ世界に浸る人が周りで
多く見られたが、ちょっと、前の曲とそぐわない感じがあり。
モーツァルトは天国のような美しい音楽でありながら、主題が何度も何度も
切っても切ってもまた再生するトカゲのシッポのように(ゾンビ、
ターミネーター、キョンシー(古くてわかりませんぞ)とも言う)
繰り返し出てくるのが気になる時が、みなさん、ありませんか?(^^;
典雅でありながら、ホントは心はクセモノでしょ、みたいな(笑
ここにこの曲が入ったのは、初演が「プラハ」で、この俗称がついている、
ということのようです。
さて、休憩の後がすごかった!
マルティヌー「リディツェ追悼」リディツェ村で、ヒトラーの腹心が暗殺された。怒ったヒトラーは村を撲滅
させるために封鎖し、300人を越える村人が虐殺された。
アメリカでこのニュースを知ったチェコ出身のマルティヌーは、この追悼曲
を作曲し、カーネギーで演奏した。
重苦しく、壮絶で、弾圧に屈しないレジスタンスな精神の入魂の交響詩。
フサ「プラハ1968年のための音楽」チェコスロバキアという国になってからも、ナチス侵攻、共産党体制、と
苦難の連続であった祖国に、1968年ソ連が軍事介入したことに、
アメリカにいたフサが怒りと抗議を表明して作曲したもの。
4楽章構成、23分の曲だが、最初から最後まで、ものすごくハードで、
「断固負けない!精神」に満ち溢れ、悲劇的で、破壊的で、
私のつたない言葉ではとても言い表せない。
目を見張り、掌を握り締め、身を乗り出し、唇をかみ締めて、
肩をこわばらせて聴いた。凄まじい大音響の中に終る。
拍手鳴りやまず、また、ホルン新井さんの退団花束贈呈があり、
抱き合って涙の安土さんに共感し、またまた拍手の連続の中、
下野さんが「もう1曲やります」と、「まだ帰っちゃダメよ」と声かけ。
席を立ちかけていた人々が戻り、静かにバッハが始まった。
激しかった演奏会に、癒しの、クールダウンの一曲。
「汝の罪を懺悔せよ」
歴史という壮大な時の流れの中、人はどれだけのことをなしえたか、
私利私欲のために無駄な命の血を流さなかったか、
ちゃんと前を見て、正しい道を歩んできたか、この先はどうか。
しんみり、じんわりと、メッセージたっぷりのアンコールだった。
下野さんのパワーはものすごい。汲めど尽きせぬ泉のよう。
音楽家は体力勝負だとしみじみ感じた日でもありました。
うちは、予算が・・・
操作が
かえって面倒そうだし。
ボタン押しが嫌いな
60代男性が喜んで使ってるのを
見ました。