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100分de名著「ツァラトゥストラ ニーチェ」

先生(西研さん)の解説がフレンドリーで興味深かったので、
テキストも買って読んでみた。
自分なりのまとめメモ。

●「神は死んだ」「超人のために没落せよ」
神に与えられる天国での恩恵のために現世を禁欲的に生きるという受身的な幸福観を脱し、自ら価値を創造していく人・生き方を「超人」と呼ぶ。
「超人」は宗教的「善」を価値とせず、自らの生の喜びの中に価値を見出す。その意味において「超人的生き方を目指して、あえて神の救いから没落せよ」と言うのである。

●「ルサンチマン」「末人」
「恨み、妬み、嫉み」といった感情=ルサンチマンに囚われてしまうと(どうせ、どうせ、私なんか…、となり)、「ニヒリズム」に支配され、自らの価値を肯定することができなくなる。希望や理想、憧れをなくし、現実の安逸を第一とする、つまらない「末人」となりはててしまう。
独自の新鮮な価値観を創造していくためには、自身を肯定することから始めなければならない。
「貧しきものは幸い」「悪人なおもて往生をとぐ」などの宗教観もまた、いわばルサンチマンの裏返しといえる。私は貧しいけど、善行はできないけど、でも、天国(極楽)で救われるんだもん、という消極的論理だ。
そうではなくて、今の自分の幸福を、自分で、創造していかなければならない。

●「永遠回帰」
宇宙が絶対的総量として恒常性をもって存在するならば、あなたの人生は、何度でも、何度逃げても、何度生きても、またどこかで永遠に繰り返されるのである。
それに絶望してしまうのではなく、永遠回帰を受け入れ、そこに新たな生きる希望を創造していかなかれば、幸福にはなれない。その人こそが、「超人」である。
もし一度でも、生の喜びに震える瞬間があったなら、その人生は、何度でも繰り返される価値がある。あなたの人生は、何度でも生きる価値があるのである。

「我々の魂がたった1回だけでも、弦のごとく幸福のあまりふるえて響きをたてたなら、このただ一つの生起を引き起こすためには、全永遠が必要であった」
愛する人と心が通い合った時、大切な小さな命を手にした瞬間、あるいは、母の胸に抱かれていた幼き充足の日の記憶、そんな一瞬があれば、人は「幸福」を知ることができる。そして何度でも、その幸福に向けて、新たな自分を生き続けられる、というような意味だろうかなと思った。

人は生まれながらにしてアンフェアな存在である。生まれる国、時代、親、貧富、美醜、健康、どれも何一つ自分で選択できない。物心ついた時は、私はもう「私」だったのだ。誰もが少なからず、自分の人生に不満を感じ、不運を嘆く気持ちを持っているだろう。しかし、その「私」でなければ味わえない「人生」を人は生きているのである。その運命でなければ得られない何かを、人はそこで得るのである。

「運命愛」 自らの運命を愛し、肯定せよ。全ての運命は、与えられた遭遇の「チャンス」である。
「全肯定」 自らの存在全てを丸ごと肯定し、自らを愛しなさい。誰も承認してくれなくてもよい。自分で肯定すればよいのだ。「私の人生はすばらしい」と。
世に認められている幸福の形や、受動的に得られる喜びのあり方ではなく、自分が生きているオリジナルの歓喜を、自らの絶対なる「幸福」として認識し、次々と新しい自分を創造し続けていきなさい。

「永遠回帰」がわかりにくいのだけど、(なんとなくわかったような感じ)で、自分なりにまとめてみた。(違っているかもしれない)
ニーチェ(ツァラトゥストラ)の考えは、「個」を重視するもので、共感できると思った。私がよければ、それでよいのだ。私の価値や幸福は、私が創出していくのだ、という独自性は、生き難い現代に大きな説得力を持つものだと思った。やや変わり者的な傲慢さが拭えないだろうが、勇気を与えてくれるひとつの提案である。
「孤独病」にならないように、コミュケーションとレスポンスを大切にしていくことが重要。
宗教的な哲学も否定せず、正しく生きたいという思いはあるが、正しく生きているんだから、それでいいんだ!という開き直りの肯定、みたいなものが強さのポイントだと思った。

客観的に「幸福」とは思えない孤独の人生を生きたニーチェ。最後は精神を病み、錯乱の中に生涯を閉じたニーチェ。それでも、ありえない三角関係のひと時の中に、絶対なる幸福を見出したニーチェ。生きる可能性を示しながらも、壮絶さ、悲愴さが強く漂う。

NHKテレビ ニーチェ『ツァラトゥストラ』 2011年4月 (100分 de 名著)NHKテレビ ニーチェ『ツァラトゥストラ』 2011年4月 (100分 de 名著)
(2011/03/25)
西 研

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「さかのぼり日本史」 戦後 経済大国の漂流

こんなふうに流れをまとめてくれるとよくわかるなぁ(^^と
思ったので、自分メモ。
社会科に弱いので、レベル低くてもあしからず。
間違いあったら、教えてください(^^

「失われた20年」現代日本の漂流の源はどこにあるのか、
戦後66年の歴史を遡って検証する。
4月講師:五百旗目真さん

① 最初のターニングPは、1989年冷戦終結後の世界の流れを
見誤ったこと。東側崩壊で、これでメデタシ、とお気楽だった。
91年湾岸戦争で、国連を中心とした新しい世界秩序が構築されて
いった中、日本は「大国日本」としての世界の期待に応えられず、
批判を浴びる。
アメリカ庇護のもと「経済大国」のままでOKが続くと思っていた。
しかし、アメリカは、国防費削除、IT立国へと路線変更。
日本は立国戦略を世界に示すことができなかった。→バブル崩壊へ。

②その前には、80年代の外交経済で躍進した中曽根内閣時代の
成功体験から日本がずっと抜け出せなかったことがある。
中曽根は、[吉田路線からの脱却→防衛力強化]派であったが、
米ソ二大超大国の君臨する冷戦下では、現実的ではなかった。
で、→[日米安保強化=日米関係の良好化=経済立国]を図る。
日米貿易摩擦の軽減、財政の健全化→行政改革、民営化、規制緩和、
⇒日本経済伸張、地価高騰⇒バブル→崩壊へと進んでいった。

③その80年代繁栄の基盤となったのは「55年体制、吉田路線」
鳩山一郎:軍備増強、米からの独立:民主党
吉田茂:日米安保の下で経済立国を目指す:自由党
社会党の統合に対抗するため、民主党・自由党が統合し、
55年「自民党」が誕生。揺るぎない第一政党として長く日本に立ち、
経済立国日本「吉田路線」を継承していくこととなった。

④その原点は、吉田の締結した、51年の講和条約、安保条約。
吉田:「経済なくして復興なし」官民一体の経済立国を目指す。
世界は米ソ対立。50年、朝鮮戦争勃発。
米は日本の再軍備を期待するも、日本には軍備増強の経済力なし。
⇒日米相互の安全保障を求め、基地の提供と将来の軍備を承諾する。
日本は「親米の軽軍備の経済国家」という路線を選択することとなった。

5月は戦争を回避できなかった日本を検証。楽しみです♪


Nスペ再放送[人類は滅亡するのか?]

昨晩遅くにNHKスペシャルの再放送に偶然出会い、
見逃していたので、しょぼつく目をこすりながら見た。
今思えば、録画しとけばよかったんじゃん(^^;
内容がinterestingだったのでメモ。
サイトはこちら

--------------------
哺乳類の祖先は、太古の時代、巨大な恐竜の足元を、おびえながら
逃げ回る10cmほどの小さなネズミのような生き物だった。
全ての哺乳類がここから枝分れしていったことは、すでに広く知られている。
小さな体で子孫を無事繁栄させるには、デカイ恐竜のような卵生ではムリ。
そこで、体内で保持しつつ大きくしてから生み出すというスタイルを得た。

この「妊娠」には、胎盤が重要かつ不可欠である。
胎盤の機能を司るスイッチは、Y染色体の中だけにある。
よって、哺乳類は、男なくしては、誕生できない。
しかし、Y染色体は、父親から息子へのみコピーされる宿命にあるため、
コピー劣化が起こり、徐々に染色体異常をきたし、「男」はやがて滅びる
運命なのである。
「男」が絶滅した後、子孫はどう保持できるか?

卵生などの生き物たちは、単為生殖で生き延びる道がある。
しかし、哺乳類はY染色体がなければ妊娠できないので無理。
特殊な哺乳類では、すでにX染色体の突然変異によって、Xの中に
Yの分子を持ち込むことで、単為生殖を可能にしているものもある。
しかし、この「偶然」にのみ未来を依存することは不可能であり、
やがては人類は滅びるのである。

すでに、人間の精子の働きは非常に劣化しており、ヨーロッパ4国の
研究では、自然に妊娠できるレベルの精子を保持できない路線へ
まっしぐらであることがわかっている。これは、なぜか?

自然界の哺乳類たちは、ひとつの卵子に、複数の持ち主の精子が競って
受精するという形だ。よって、この精子たちは生き延びるために必死で、
非常に活発である。
しかし、人間はそういう競争がナッシングであるから、いわば、ボケーッと
していても、やる気がなくても、多少悪いところのある精子でも、
そんなにがんばらなくても受精できるのである。
こうやって、ガッツのない精子のはびこる世界となっていったのだ。
このままでは、人間はやがて自然に子孫を産出することは不可能になる
だろう。そこでクローズアップされてくるのが「生殖医療」だ。

すでにヨーロッパでは、医療のヘルプによる出産の%がどんどん増加しており、
また、アメリカでは精子バンクで好みのものを購入することに何のためらいも
持たないことが常識化している。

ヒトは、子孫繁栄のために、妊娠を活発化するために、「恋愛」という方法を
取り入れた。しかしそのために、一夫一婦を守るという家族ができ、そこでは
精子の過当競争はなくなり、それがやがて、絶滅への道を進めることとなった。
もはや、医療による生殖では、恋愛は必要ない。
バンクがあれば男もいらないわけだ。
やはり、人類は絶滅危惧種への道を1歩ずつ歩みつつあるのだろうか?

--------------------
高校の時、今は理・社は選択だけど、私の時代はぜんぶ必修だった。
文理に関らず、1年で生物と地学をやり、2年で物理と化学をやった。
生物の先生は、コケの研究で著名な先生で、コウサクという名前だったが
みんなコケサクと呼んでいた。
生殖の時間に、染色体を拡大して印刷したものを、切り取ってペアに
並べ替えるという作業をした。私のもらったプリントにはY染色体があった。
先生の熱弁がなつかしく思い出される。いつもベルトにタオルをはさみ、
白衣からそれがぶら下がって見えた。理科研究室と準備室の間の廊下を
セカセカと忙しそうに前かがみに歩いていた。あらゆる生命を慈しんでいた。


favorably ?

うーん、日記を書かないと、どんどん書かないままに日がすぎていってしまう。
ここは「my favorite」なので、favorable なことを書くつもりでいる。
されど毎日毎日、好感情のみでヒトは生きるにあらず、なのであって、
なんとなく、どよーんとしている日は誰にもあるわけで。

けさ目が覚めたとき、ネバーエンディングストーリーの2だったか(?)で、
虚無の沼に馬が沈んでいく、その馬のひきつった表情をふと思い出した。
あまりfavorableな目覚めとは言えない(汗)
「絶望に支配されると虚無から逃げ出すことはできなくなるんだ」
そんなセリフだったかなぁ・・・なんて思い出していた。
「がんばれ、這い出すんだ、力を出すんだ、●●(馬の名前、忘れた)!」
けど、馬は哀しげに、抵抗をあきらめて、とうとう沈んでいってしまうんだ。

なんか、15年?くらい前にみたような映画を、なぜ、今?と思いつつ。

けど、ゆうべのTVの松野明美さんには感動してしまった。
つけたらやってた、というわけで、最初から見てたわけでないのだけど、
「人にどう見えるか、ではなくて、自分がどう思うか、が大切なんだ」
「速いことがよいこと、速ければこそ評価されるんだと思ってた。
 でも、遅くてもいい。自分のペースでいけばいいんだってわかった」
「元気で強いランナーという私のはずなのに、“たいへんね”って
 人から思われたくなかった。だから言えなかった」
「でも隠していることは、こうやって生きている命に失礼だとわかった」
こういう言葉は、もうわかりきってる、何度か聞いたよ、って類のものなんだけど、
でも松野さんの言葉は、実際に、ひとつの生命に5年間接して、
「正直、生まなければラクだったと思った」
「毎日、これでお別れかなと思ってた」
という日々の中から発せられた実感がこもってたので、こっちも引き込まれた。

でも、「泣かせよう」「感動させよう」というTV局の意図、みたいなのも
ないわけでないぞと、一方では思う、ひねくれものの私ではあるが。

いろいろ雑用・タダ仕事が多く、だだだーーーと時間がすぎていく。
といいつつ、本を何冊か読んだので、あとでまとめて書こう。
家族は「忙しければ、借りなきゃいいじゃん」というが、
それはあなた、図書館の予約というものをわかってないですぞ。
いつ来るかわからない、しかも、逃がしたらもういつ手に入るかわからない、
それが図書館のハードボイルドなのだ。





「プロフェッショナル」~看護師・田村恵子さん

NHKのまわし者みたいな日記になっているが(^^;
昨晩の「プロフェッショナル」は、大阪のホスピスでガンの
ターミナルケアに尽くす看護師、田村恵子さん。
さぞ、ご自身のメンタルバランスを保つことが大変だろうに、
いつも柔らかな笑顔を絶やさない。
やはり、強固な信仰心に支えられているからだろうか。
前々回の獣医師の斉藤さんもそうだったが、
信念のある人はすごい。

番組のあるおとうさんの最期が、実父の最期に重なって、
今朝も尾を引いている。

命は、長くても、短くても、
充実感、生き切ったという思い、という観点においては、
究極の平等にあると、田村さんは言う。
長ければいいというものではなく、
短くても、よく生きればそれでよい。だから、生は平等。

「もっと長生きしたい」という執着から、人は解放されることがない。
要は、いかに生きるか。
これは、究極に、難しい。
この課題は、年々あせりとして増大してくる。
しかし、これがあきらめに変容することもまた、怖くもあり、
救いでもあるのだろうな。

人生は無為に過ごすには長すぎるが、
何かをしようと思ったら短かすぎる。

これは恩田陸の「上と外」で、じいちゃんが孫に言う言葉。
しかし、この事実を実感するのは、
皮肉にも、自分の人生に限りのあることに気付いてからなのだ。

つまり、つべこべ言わずに動け。
田村さんは、そのことを行動で伝えてくる。
凡人は、それを拍手で讃えるしかできないが。



NHK「プロフェッショナル」~堤幸彦監督

この頃NHKがおもしろい。
いや、昔からおもしろかったけど、最近特にinterestingに向けて
努力している様子が感じられる。
「プロフェッショナル」と「TR」は以前から好きな番組。
昨晩は堤幸彦さんだった。

堤さんは「鬼才」と評される監督で、52歳。金髪が印象的。
三重県生まれの名古屋育ち。
「金田一少年」「ケイゾク」「池袋WGP」などのTV作品が有名で、
「トリック」や「包帯クラブ」「自虐の詩」などの映画作品では
トリッキーな独特の感覚を発揮し、また「明日への記憶」などのストレートな
感動ものもある、まさに「個性あふれる」って感じの方だ。

AD時代の苦労話や被害者意識(なんで自分だけ、どうせどうせ…ってやつ)
などを話される姿に誠意があふれる。
20代で奥様がガンの闘病の末、亡くなったことなどをとつとつと話される。

低俗な(と捉えていた)カラオケ番組をやったとき、まるでビートルズに
熱狂するように、真剣、あるいはノリノリで対する老人たちを見たときに、
自分の意識が大きく変ったと言われる。
「楽しませること」ここに原点がある。

「人生を生きることはたいへんだから、自分の作品を見ている間は、
せいぜい楽しんでもらいたい」
それが監督のすべてを貫くポリシーなのだそうだ。

作品を作ることは、予算や、それをペイすることや、
俳優やスタッフへの責任、などなど、
作品を世に出す重責ははかり知れないことだろう。
ただ「楽しい作品」だけではどうしようもないストレスがあることと思う。
それでも自分のポリシーを見失わない、
そこにプロフェッショナルたる所以があるのだなぁと感銘。



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